もう雨に備えていた山があった。
郭巨山(かっきょやま)である。
俗に「釜堀山」ともいいます。中国二十四孝の一人郭巨は、家が貧しくて老母を養うのがやっとでありました。子供が生まれましたが、老母は自分の食を減らして孫に与えねばなりませんでした。
「子供はまた得られる。母は再び得ることはできない。」郭巨は妻と相談し、子供を土中に埋めようと穴を掘ったとき、そこから黄金の釜が出てきたという故事によります。
乾物屋さんの前に置かれていた。
日ごろ徹街並みが新鮮に思える。
この通りも店の入れ替わりが激しい。
古い家がマンションに変わったり駐車場になったり。
大津祭を維持していくのも大変だろうな。