インカトレイルの山岳レースみたいなのがあるらしい。
それに出場したというポーターもいた。
2日目、ポーターと競い合うように歩く。
日本人の体力を見せなければ!
富士山だって3776m。高度順応はできているはず。
インカトレイルの高度3500m付近に到着する。
高地なのだが、高地だからか、汗を大量にかいて息が上がる。
やっぱりインカ道。なまはんかなトレッキングではなかった。
向かいに見える山々は5000m級がたくさんある。
変な負けず嫌い根性を出さずにのんびり歩けばよかった。
インカトレイルの山岳レースみたいなのがあるらしい。
それに出場したというポーターもいた。
2日目、ポーターと競い合うように歩く。
日本人の体力を見せなければ!
富士山だって3776m。高度順応はできているはず。
インカトレイルの高度3500m付近に到着する。
高地なのだが、高地だからか、汗を大量にかいて息が上がる。
やっぱりインカ道。なまはんかなトレッキングではなかった。
向かいに見える山々は5000m級がたくさんある。
変な負けず嫌い根性を出さずにのんびり歩けばよかった。
オリャンタイ・タンボから進み、いよいよトレッキングのスタート地へ。
3泊4日の山歩きが始まる。大きな荷物はポーターが持ってくれる。
ガイドとポーター、アルゼンチン人男女6人、日本人1人のツアーである。
インカの人々が歩いたであろう道をたどる。
インカ道(インカトレイル)はしっかり踏み固められた道で歩きやすい。
ウルバンバ川沿いの渓谷は「インカの聖なる谷」と呼ばれる。
スペイン軍によるクスコ陥落のあと、インカ軍の拠点となっていた。
インカの盛衰に思いをはせながら、歩みを進める。
チルカから少し先の、リャクタパタ(テラスの村、パタリャクタともいう)。
ここから本格的なインカトレイルが始まった。
ここからぐっと登っていくのである。
オリャンタイ・タンボの神殿に向かった山も見ておきたい。
現地にいるときにはあまり考えずに見ていた。
岩肌の突起やくぼみが顔に見えるという。
神様と考えられていた。王冠もかぶっている。
見えるかな?
王冠の部分には建物がある。
顔の右にある斜面には食糧倉庫(コルカ)が作られている。
斜面に作るのは自然災害を考えていたのかな?
インカの遺跡はコンドルやピューマ、蛇などに見える建造物が多い。
行ってよし、見てよし、後で振り返るのもよし。
ビルカノタ川沿いの「インカの聖なる谷」El valle sagrado de los Incasにある、オリャンタイ・タンボ。標高 2850m
タンボとはケチュア語で「宿泊施設」の意味である。
インカ時代の宿場町なのか。スペイン軍に抵抗する砦なのか。
ここは、クスコとマチュピチュの中間地点である。
大きな神殿とインカの宿(タンボ)であった建造物が多くある。
これは、オリャンタイ・タンボの下部。
本来はここからマチュピチュにインカトレイル(インカ道)が伸びていた。
現在は鉄道になっているので、インカトレイルのトレッキングでは、コリワイラチナが拠点となっている。
オリャンタイ・タンボの要塞跡。オリャンタイ・タンボで休憩がてら、観光した。
ダイナミックなアンデネス(段々畑)もあり、もうちょっとしたマチュピチュである。
クスコからインカの聖なる谷に向かっていく。
マチュピチュへ向かう途中の、チンチェーロ Chinchero。
標高3600mの高地にある遺跡。
Chincheroの広場(plaza)
インカ時代は堅固な要塞であったという。
今はその基底部の石組みだけが残っている。
斜面の段々畑(アンデネス)はインカ当時の繁栄を忍ぶことができる。
Chincheroの寺院(templo)
基底部の石組みの上に白い寺院が建っている。
この近くの村では、インカ時代の水路がまだ使われている。
インカの技術がすごい。
近くには観光客向けの民芸品のマーケットがある。
チンチェーロは質の高い織物も有名。
天然染料で染めたアンデス柄の織物はお土産によく売れている。
土産物売りの女性たち。衣装がカラフルである。
写真撮るならお土産買ってね。