antiguate’s diary

グアテマラ好きの旅人です。中南米やアジアの思い出を綴ります。

インカの石組み ペルー クスコ

クスコにあるコリカンチャ(太陽神殿)の石組み。これが見たかった。

インカ時代に積まれた石は大小いろいろな大きさがある。

その石たちは、今も生きているように組み合わさっている。

宗教美術博物館の外壁には、12角の石もあった。

インカ時代の加工技術がいかに高かったかわかる。

インカの石組みの特徴は、緻密な石造建築へのこだわりだ。

石組みの隙間には、剃刀の刃も入らないと言われている。

わずかな隙間すらないぐらい完璧を目指していたようだ。

そこまでこだわるのは、インカの自然が厳しかったからでもある。

雨期には洪水や土砂崩れが多かったようだ。

その自然の猛威に負けない精巧な作りを目指したのだろうか。

これだけきっちり組まれていたら、地震にも強いだろう。

その英知に感銘を受ける。

クスコの石組み インカ遺跡 ペルー

クスコを見下ろすサクサイワマンの丘。

要塞や神殿、祭祀を行う場所だった思われる巨大な建造物が残っている。

三段に重なる基壇には200~300トンの巨大な石が使われている。

しかも隙間なく積み重なっている。

どうやって積んだのだろう。インカ帝国時代に思いをはせる。

サクサイワマンの丘から見下ろしたクスコの街並み。

クスコの都はサクサイワマンを頭としてピューマの形に作られているとのこと。

高校の地理で習ったインカの石組み。

これを見たくてスペイン語を勉強した。

我ながら狂ってるわ。

コスタリカ Manuel Antonio国立公園

ホンデュラステグシガルパからニカラグアを経由してコスタリカへ入った。

グアテマラでのんびりしすぎて、3か月のフリーチケットの残りが少なくなっていた。

Manuel Antonio国立公園で少しのんびりする。

コスタリカでは少しだけ観光するのが精一杯だった。

最初はグアテマラコスタリカ、ペルーを1か月ずつくらいの予定。

スペイン語を学ぶだけのつもりが、グアテマラの居心地が良くてうっかり2か月以上滞在。

ホンデュラスではコパン遺跡を少々見た程度。

ニカラグアはなんとなく怖かったので、通過してしまった。

同じ日に入国と出国している。バスでのみ通っただけ。今思うともったいない。

コスタリカもばたばたと観光で終わった。もっと自然に触れたらよかったな。

コスタリカは自然公園のイメージが強かったが、グアテマラシティのように緊張感が強いところが多い。

長期間滞在すれば、また違うのだろうが。

コスタリカサンホセからはTACA航空でペルーのリマを目指す。数万円だった。

中南米間の空路は、なんとなくアメリカ国内の移動のような印象であった。

時差があまりなくて、その分は楽だった。

 

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旅先での洗濯は?

長い旅になると洗濯をしないわけにはいかない。

薄手のTシャツや下着、靴下なんかは自分でも洗える。

建設ボランティア中でも洗濯させてもらっていた。

昼間は暖かいのよく乾く。

固形の洗濯用せっけんを買ってちまちま洗っていた。

タオルはメルカド(市場)の屋外で安いペラペラのものを買って使っていた。

薄いほうが乾きやすいからである。

だけど、デニムパンツとか厚手のものは難しい。

アンティグアはさすがツーリストの街。

安い洗濯屋さんが複数あった。

7着で2ドルぐらいだったと思う。

本格的に次の街への移動する前にはこざっぱりしたいもの。

デニムパンツなのに軽くプレスされていて笑ったけど。

旅が長くなると、Tシャツやズボンがくたびれてくる。

いかにも旅人という感じになると出入国では印象が良くない。

持論ではあるが、出入国はこざっぱり清潔に、を心がけている。

そのおかげか、あまり出入国でトラブルになったことはない。

一度だけ、鉄製の蝶々の形のおみやげが危険物としてひっかかった。

グアテマラの友達がくれたものだった・・・

 

メルカド(市場)の食堂

アンティグアのバス乗り場の近くにはメルカド(市場)があった。

野菜や肉などの生鮮食品や日用雑貨が売られていた。

肉は結構生々しい姿で売られていたのを思い出す。

屋外で市の立つ日には、古着市もあって、ここでTシャツを調達していた。

市場の中には簡易食堂があって時々利用していた。

Carne asada (焼肉料理みたいなもの)やCarne dorada(こんがり揚げた肉料理)などわかりやすいメニューを食べていた。

日本でいうハヤトウリがごろんと入ったスープ料理などもあった。

野菜をしっかり取りたいなら意外と良くて、安かった!

バス待ちの人たちも利用していたのだと思う。

あんまり品物は多くなかったけれど、ぶらぶらするのに良かった。

グアテマラの治安

友達の家のドアストッパーが壊れた。

そういえば、グアテマラでドアストッパーなんて使わなかった。

そもそも、ドアを開けてくれるのも顔を確認してから。

安全だと認識したうえで、ロックを解除してくれた。

通っていたスペイン語学校のAtabalは雑貨屋を兼業していた。

石鹸とか雑貨やお菓子など売っていたと思う。

日本人など生徒はすっと入れてくれるのだけど、お客さんである現地の人は警戒していた。

ボランティアに行っていた病院にも警備員がいて、荷物チェックがあった。

顔なじみになったら、すっと通してくれてたけど。

銀行の前には当然のように銃を構えた警備員がいた。

安心してATM使えるわ、と思っていたけど。

慣れって怖いものだ。

のどかに見える十字架の丘。死者の日など人が多い場合は安全。

普段は、この丘ですら強盗の危険があった。

電車でも、居眠りできる日本って安全だね。

最近はそうとも言えないかもしれないけど。

そういえば グアテマラといえばコーヒーだけど

グアテマラと聞いて一番に連想するのはコーヒーではないだろうか。

グアテマラに行けば、おいしいコーヒー三昧なのかと思っていた。

アンティグアやウエウエテナンゴはその名も知られている。

アンティグア郊外にもコーヒー農園がある。

ローカルバスで見に行ったこともあった。コーヒーの赤い実も見られる。

実際は、コーヒーは貴重な輸出品なのだ。

あまり現地の人はレギュラーコーヒーを飲んでいなかった。

病院のなかで飲んでいたのは、ネスカフェ。すごいぞネスカフェ

お昼を一緒に食べるときは、あまーいネスカフェを入れてくれた。

止めないと砂糖をたっぷり入れられてしまう。

もちろんツーリストの多い街にはコーヒースタンドもあった。

ドイツ人のやっているスタンドでテイクアウトを買っていくこともある。

やや深煎りのおいしいコーヒーである。

「そんなコーヒーをブラックで飲んで体に悪いわよ」と言われた。

砂糖たっぷりのネスカフェのほうが体に悪い!

とは、言わなかったけど。

豆から挽いたコーヒーを飲むのはツーリストで贅沢品だった。

所詮、旅人のよそ者。

時々、その生活の差に切なくなった。

なるべく、今でもグアテマラ産コーヒーを飲んでいる。